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PTSD


そうなんや・・・
(・ω・`)

1 冬月記者 ★ :2024/10/02(水) 20:03:20.24 ID:EkwpQ/Vv9
 昨年7月から病気療養中で、8月末をもってフジテレビを退社した元アナウンサーの渡邊渚さん(27)が2日、インスタグラムを更新。

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療をしている中で、7月下旬から開幕したパリオリンピック(五輪)のバレーボールを6試合、現地で観戦したことについて言及した。

 前日1日には「長く向き合ってきた病気の専門治療が、予定より少し早く終了しました。やっといろんなことが終わって、ホッとしています」と治療終了を報告。

 続けて「これまで消化器内科・皮膚科・膠原病科など、様々な科にお世話になりました。中でも、長い時間をかけて治療した原因は、【PTSD心的外傷後ストレス障害】を患っていたからです」と告白した。

 そして今年5、6月は特にパニック発作がひどかったという。「そして先日PTSDの専門的な治療が終わり、やっと日常生活に不安がなくなって、笑顔で過ごせるようになりました」と回復を強調していた。

 渡邊さんはこの日、ストリーズでフォロワーから寄せられた質問に応対した。「乗り物に乗る乗ることも不安だった中で、飛行機に行ってパリに行って人の多い場所でバレーボール観戦出来たの、すごいね」とする質問に

 「同じくPTSDの方も見てくださっているので、誤解のないように、ひとつ補足させてください」と切り出した。

 そして「私はPTSDによるパニック発作で、トラウマを想起させる環境で パニックになりやすくなっていました。はじめは乗り物にも恐怖心がありましたが、1年4ヶ月かけて治療をしていく中で少しずつ恐怖や不安を取り除いていきました」と説明。

 さらに「また、そもそも私にとって飛行機という乗り物がパニックを想起させものではなかったので、乗れたという側面もあります」と補足した。

 さらに「行動認知療法も取り入れていたのでパニックへの対処もコツを掴んできています。最近もパニックになりそうだなという瞬間はあるけれど、特別ひどくはならなくなりました」と現在の状態を打ち明けた。

 「長い年月をかけて主治医の先生や臨床心理士さんとたくさん相談しながら、色んな治療と薬を試して今があるので、1.2ヶ月で治ったわけではありません」と記した。

 最後に「PTSDやパニック障害も、一概に全員これができないというものがあるとは限らないので…色んな症状の方がいると理解していただけたら 世界はもっと優しくなれるんじゃないかな~と思ってます」と付け足した。

 渡邊さんはネット上でパリ五輪のバレーボール観戦が話題になった直後のSNSで「最後にオリンピックを観に行けたら未練がなくなるんじゃないか、きっぱりバレーを諦められるんじゃないかと思って、急遽チケットを買ってパリへ行ってきました。(乗り物に問題なく乗れるようになったタイミングだったのいうのも行けた理由の一つです。ちゃんと会社には報告してから行ってます!笑)『今行かなきゃ絶対後悔する!』と家族や周りの方々から背中を押してもらいました」とつづっていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7696ff3f181c8555ab562aa8d0a0bebcfd4dacff

【【元フジ】PTSD公表の渡邊渚さん、パリ五輪バレー観戦巡る批判の声に長文で説明…】の続きを読む


そうやったんや・・
(・ω・`)

1 ひかり ★ :2024/10/01(火) 18:01:07.39 ID:6Ob8ehP69
 8月いっぱいでフジテレビを退社した渡邊渚アナウンサーが1日、自身のインスタグラムを更新。病気の治療が予定より少し早く終了したことを報告するとともに、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていたと公表した。消化器内科、皮膚科、膠原病科などで治療を受けたことも明かした。渡邊アナは昨年6月に体調を崩し、同7月に入院。今年8月にはパリ五輪のバレーボール日本戦を現地観戦したことが話題となった。

 【インスタ全文】

長く向き合ってきた病気の専門治療が、予定より少し早く終了しました。やっといろんなことが終わって、ホッとしています。

これまで消化器内科・皮膚科・膠原病科など、様々な科にお世話になりました。中でも、長い時間をかけて治療した原因は、【PTSD 心的外傷後ストレス障害】を患っていたからです。

PTSDとは、生命を脅かされるような出来事によって引き起こされる精神疾患です。フラッシュバックや回避・解離、過覚醒、パニック発作など、様々な症状がありました。

この1年4ヶ月、生きているのが辛くて、身も心もボロボロでした。

当たり前にできていたことができなくなって、大事にしてきた仕事もできなくなって、残ったのはうまく動かない身体だけ。

“死んだ方が楽だった””なぜ生きなければいけないのか”をずっと考えて、この先どれだけ治療をしても痛みと恐怖からは永遠に逃れられないのではないかと毎日苦しみました。

記憶があまりない時期もあり、「このまま死んじゃうんじゃないか」と家族にも心配をかけました。

退院後の日常を取り戻していく作業も、できなくなったことと向き合わなければならず、本当にしんどかったです。

はじめは、友達が会いにきてくれる日を目標にそこまで頑張って生きる。スープを1センチだけでいいから飲んで何とか生きる。それがクリアできたら、自宅から徒歩1分のコンビニに5分かけて歩いて行く。それを少しずつ伸ばして、次は外でご飯を食べられるようになることが目標に。

今年の5.6月は特にパニック発作がひどかったので、乗り物に乗れるのか、人がたくさんいるところに行けるのか。少しずつ距離を伸ばして、身近な人がいない状態でどこまで耐えられるのか、毎日小さな目標と実験を繰り返してきました。

そして先日PTSDの専門的な治療(持続エクスポージャー)が終わり、やっと日常生活に不安がなくなって、笑顔で過ごせるようになりました。

PTSDにならなければ、大好きな仕事を辞めることはありませんでした。

失ったものに目を向ければたくさんあって悲しくなるし、心と頭からトラウマを消すことは一生できないけれど、生死と向き合って学んだことがたくさんありました。

恐怖のない普通の生活、どこにでも自由にいけて、友達や家族と笑ってご飯を食べられる...

当たり前の幸せにたくさん気づいて、大事なものが透き通って見えるようになりました。

そして何より、私を見捨てず、どん底から救ってくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

ひとりぼっちに感じた療養期間をたくさんの方がSNSを通じて支えてくださり、パワーをいただきました。本当にありがとうございました。

これからは私がパワーを送る番です!

私はこれからもずっと、病気と闘ったり、生きづらさを感じたりしている方たちの味方です。

この1年4ヶ月、何事もなければ普通に過ごせていた日常を手放さざるを得なくなり、同世代より少し遠回りしてしまったかもしれないけど、遠回りしたから見えた世界があって、私は生まれ変わっても私になりたいと思えるほど強くなれました。

これからは、自分のペースで、幸せを感じながらお仕事できればと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

※複雑性ptsdではありません。両親から虐待されたなどの事実もありません。安易な憶測によって家族への誹謗中傷が起きないよう、あえて記します

(完全には無くならない病気だと思っているので、波はあるし、まだまだ通院は続きますが、現状とっても元気です)

https://news.yahoo.co.jp/articles/acb94a78e4d07a3e4b055667dc75fea96b0dc1d0

【【全文】フジ退社の渡邊渚アナ、PTSD公表…】の続きを読む

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