そうなんや・・・
(・ω・`)
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1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2026/07/13(月) 11:12:25.74ID:BlLa/nMm9
元「TOKIO」山口達也さん(54)は2018年、未成年にわいせつな行為をしたとして、芸能界を去りました。
所属事務所の契約を解除され、仕事も、仲間も、信頼もすべてを一度に失ったと話す山口さん。
2020年には飲酒運転で交通事故を起こし、その後、「アルコール依存症」と診断されました。
あれから6年。山口さんは今、全国の講演会場に立ち「アルコール依存症患者」として、病気との向き合い方を伝えています。
この記事では、2026年6月、北海道苫小牧市での講演会で語られた山口さんの当時の想いや、これまでの道のりなどを紹介します。
《5回連載の3回目・1回目・2回目・4回目・5回目》
■「酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢」
私の飲み歴を少し振り返ってみます。
20歳でお酒を飲めるようになって、先輩たちに連れられてお酒の世界に入りました。
最初は弱かった。気持ち悪くなっていた。でも飲み続けるうちに強くなっていった。それが誇らしかった。
30歳を過ぎる頃には、好きなお酒があって、好きなお店があって、飲み仲間もいた。
仕事も充実していた。このまま死ぬまで飲んでいこう、そう思っていました。
ところが、35歳から40歳にかけて、少しずつ「飲み方が変わって」いきました。
帰宅してから飲み会に行く前に、一人でビールを飲むようになりました。飲み会の席では、ラストオーダーのタイミングで焼酎ダブルを5杯注文するようになりました。
帰宅してからもまた飲んで、寝るギリギリまで飲んで眠る…そういうルーティンが出来上がっていました。
仲間と飲むよりも、1人で家で飲む時間のほうが好きになっていきました。
パンツ一丁でリラックスして、誰にも見られずに好きなお酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢に感じていました。疲れていても、朝が早くても、「今日は飲み会に行かない」と断って、家でひとり飲む。飲み方が変わったのです。
■あの頃すでに依存症だった
ある朝、起きたとき、記憶がない夜があることに気づきました。
冷蔵庫の横に、新しい焼酎の紙パックが置いてある。きのう飲んでいたものはゴミ袋にきれいに畳まれている。買いに行ったことを覚えていない。
夜中に1人でコンビニまで歩いて行き、焼酎を買って帰って、また飲んで寝た。それが記憶にない。
その頃、自分はまったくやばいとは思っていませんでした。
仕事もうまくいっていました。体も元気でした。帰ってきて飲んで寝て、また仕事に行く…それが最高のサイクルだと思っていました。今思えば、あの頃すでに依存症だったのだと思います。
■「謝る相手が自分の前からいなくなっていた」
2018年、私は不祥事を起こしました。
これはお酒とは直接関係ありません。すべて私自身が起こしたことです。この一件で、芸能界を離れることになりました。
仕事がなくなり、収入がなくなり、仲間もいなくなり、信頼がなくなりました。
すべてのものが一気になくなった…これが「底をつく」という状態です。 毎日反省しました。迷惑をかけた人たちに謝りたい…でも、謝る相手が自分の前からいなくなっていました。それが人生の中で一番苦しいことでした。 この人生を悔い改めて、人に迷惑をかけないようにひっそりと生きていこうと誓いました。お酒もやめました。誓う相手もいない。心の中で決めるだけでした。
■やめられなかった酒 飲酒事故を引き起こす
その2年後、2020年9月22日。私は再びお酒を飲んで、ハンドルを握りました。飲酒運転で事故を起こしました。
ニュースを覚えている方もいらっしゃると思います。
「また名前を聞いたと思ったら飲酒運転か」「何やってんだ」「久しぶりに名前が出てきたと思ったら、なんなんだよ」。
私がそちら側に座っていたら、まったく同じように思ったはずです。それは当然のことです。
なんで自分はこうなんだ。2年前に誓ったのに。人に迷惑をかけないようにと決めたのに。また飲んでしまった。自分が一番、自分を責めていました。
そこで初めて、生まれてはじめて心の底から「助けてください」と手を上げました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b2b8741aebfb46e76c3d3e42afabb29ecc4f5a3
所属事務所の契約を解除され、仕事も、仲間も、信頼もすべてを一度に失ったと話す山口さん。
2020年には飲酒運転で交通事故を起こし、その後、「アルコール依存症」と診断されました。
あれから6年。山口さんは今、全国の講演会場に立ち「アルコール依存症患者」として、病気との向き合い方を伝えています。
この記事では、2026年6月、北海道苫小牧市での講演会で語られた山口さんの当時の想いや、これまでの道のりなどを紹介します。
《5回連載の3回目・1回目・2回目・4回目・5回目》
■「酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢」
私の飲み歴を少し振り返ってみます。
20歳でお酒を飲めるようになって、先輩たちに連れられてお酒の世界に入りました。
最初は弱かった。気持ち悪くなっていた。でも飲み続けるうちに強くなっていった。それが誇らしかった。
30歳を過ぎる頃には、好きなお酒があって、好きなお店があって、飲み仲間もいた。
仕事も充実していた。このまま死ぬまで飲んでいこう、そう思っていました。
ところが、35歳から40歳にかけて、少しずつ「飲み方が変わって」いきました。
帰宅してから飲み会に行く前に、一人でビールを飲むようになりました。飲み会の席では、ラストオーダーのタイミングで焼酎ダブルを5杯注文するようになりました。
帰宅してからもまた飲んで、寝るギリギリまで飲んで眠る…そういうルーティンが出来上がっていました。
仲間と飲むよりも、1人で家で飲む時間のほうが好きになっていきました。
パンツ一丁でリラックスして、誰にも見られずに好きなお酒だけ飲んで、寝る。それが最高の贅沢に感じていました。疲れていても、朝が早くても、「今日は飲み会に行かない」と断って、家でひとり飲む。飲み方が変わったのです。
■あの頃すでに依存症だった
ある朝、起きたとき、記憶がない夜があることに気づきました。
冷蔵庫の横に、新しい焼酎の紙パックが置いてある。きのう飲んでいたものはゴミ袋にきれいに畳まれている。買いに行ったことを覚えていない。
夜中に1人でコンビニまで歩いて行き、焼酎を買って帰って、また飲んで寝た。それが記憶にない。
その頃、自分はまったくやばいとは思っていませんでした。
仕事もうまくいっていました。体も元気でした。帰ってきて飲んで寝て、また仕事に行く…それが最高のサイクルだと思っていました。今思えば、あの頃すでに依存症だったのだと思います。
■「謝る相手が自分の前からいなくなっていた」
2018年、私は不祥事を起こしました。
これはお酒とは直接関係ありません。すべて私自身が起こしたことです。この一件で、芸能界を離れることになりました。
仕事がなくなり、収入がなくなり、仲間もいなくなり、信頼がなくなりました。
すべてのものが一気になくなった…これが「底をつく」という状態です。 毎日反省しました。迷惑をかけた人たちに謝りたい…でも、謝る相手が自分の前からいなくなっていました。それが人生の中で一番苦しいことでした。 この人生を悔い改めて、人に迷惑をかけないようにひっそりと生きていこうと誓いました。お酒もやめました。誓う相手もいない。心の中で決めるだけでした。
■やめられなかった酒 飲酒事故を引き起こす
その2年後、2020年9月22日。私は再びお酒を飲んで、ハンドルを握りました。飲酒運転で事故を起こしました。
ニュースを覚えている方もいらっしゃると思います。
「また名前を聞いたと思ったら飲酒運転か」「何やってんだ」「久しぶりに名前が出てきたと思ったら、なんなんだよ」。
私がそちら側に座っていたら、まったく同じように思ったはずです。それは当然のことです。
なんで自分はこうなんだ。2年前に誓ったのに。人に迷惑をかけないようにと決めたのに。また飲んでしまった。自分が一番、自分を責めていました。
そこで初めて、生まれてはじめて心の底から「助けてください」と手を上げました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b2b8741aebfb46e76c3d3e42afabb29ecc4f5a3








