なんやこれ速報

芸能ネタ、ニュース、時事ネタ、女子アナネタ、おもしろネタ、美味しいものネタなどをゆるーくまとめてます(・ω・) まだ始めたばかりで慣れないですが、気軽に見てもらえたらありがたいです!!

女子アナ


そうなんや・・・
(・ω・`)

1 冬月記者 ★ :2026/08/15(土) 10:18:50.19 ID:5xXM7WY69
 元テレビ東京でフリーの大橋未歩アナウンサー(48)は、2023年春に夫と2人で米ニューヨークへ移住した。日本での仕事を手放して飛び込んだ環境。

 「自分の選択を悔いることは一回もない」と前だけを向いてきた。現地でのトークイベントで初めて告白した、自身の不妊治療などについても語った。  

中略
 
 フリー転向後も仕事は順調だったが、ずっと海外への憧れがあった。テレ東時代の後輩でテレビディレクターの夫・上出遼平氏(37)が22年に同局を退社したことで、本格的に移住を検討。

 米西海岸と迷ったが、ニューヨークが移民の街で、苦手な車の運転をしなくて済む大都会であることが決め手となった。

 「日本の仕事を整理することに怖さは多少あったけれど、知らない世界を見てみたいという好奇心が勝った。性格がずうずうしくて、自分の選択を全部肯定していくタイプ。ニューヨークに住んでみて、より街が好きになった。とてもフレンドリーで、困っている人がいたらすぐ助けてくれる。みんな毎日を生きるのに必死で、つらさを共有しているから他人にも優しい」

 英語は話せなかったが、現地での語学学校や演劇学校通いを経て習得。現在は夫が3月に開業したアウトドア用品店で週5日、店頭に立ち、店舗の売り上げなど財務面も担当する。数字が苦手だったテレ東時代に、一念発起して2級FP(ファイナンシャル・プランニング)技能士資格を取得したことが役立っている。

 「自分の人生に通底しているのは、苦手なところにあえて飛び込むこと。それが違うところで生きていることに面白みを感じています。苦手や知らない世界に飛び込む体験は、実はお得だと思っていて。今まで手を付けていないからこそ、ちょっとできただけですごく喜びを感じられる」

 幼い頃から、想像もつかない場所が好きだった。中学2年生だった1992年に、バルセロナ五輪で金メダルを獲得した水泳・岩崎恭子に目を奪われた。

 「今まで生きてきた中で一番幸せ」という名言に「同い年の岩崎さんが『幸せ』と言い切れる場所ってどういうところだろう?」と五輪の興味が湧き立ち、アナウンサーを志すことにした。

 上智大への進学もアナウンサー試験も、親の反対を押し切って希望をかなえた。テレ東では入社3年目で現地取材したアテネ五輪をはじめ、3回も五輪キャスターを務めた。

 「もともと、しゃべるのが苦手だったからこそ、できるようになるとすごく達成感があった。社会人生活が私の青春。四苦八苦しながら喜びを得てきた。アテネ五輪が終わって帰国した翌日も『4年間がむしゃらにやるんで(次の)北京五輪に行かせてください』と直談判してましたね。決めた目標に向かってまい進するのはいいんですけど、視野を狭くして自分を奮い立たせるところがあった」

 人気アナの地位を確立していた13年1月に、突然脳梗塞(こうそく)を発症した。

 「それまでは遠くの目標を定めて逆算して動いていた。病気をきっかけに『今日一日をしっかり生きよう』となりました。あした死ぬかもしれないと実感すると、今日という一日を無駄にしちゃいけない」

 休職中は、神戸の実家で料理や山登りをして過ごした。

 「傲慢(ごうまん)さに気づかされた時期だった。テレビ東京で自分は代えが利かないと思っていたけど、私がいなくても当たり前のように会社も世界もまわっていた。それが健全で正しいことだった」

 8か月後に仕事復帰。30代後半に差しかかり、次第に会社の意見を代弁する局アナではなく「自分の意見を持って生きていきたい」との気持ちが高まった。17年にテレ東を退社。フリーランスとして挑戦することは妥当な選択だったと振り返るが、現在も古巣に感謝している。

 今年7月に発売したエッセー「ニューヨークの林檎(りんご)をむいて食べたい」(大和書房)では、移住後3年間の体験を赤裸々につづった。英語での一般参加型トークイベントで明かした、自身の不妊治療についても触れている。

 日本にいる頃から私生活を包み隠さず公開してきたが、自身の体のことだけは伏せていた。それは、現在の夫と8年間取り組んだ不妊治療や、一度だけ妊娠したものの流産したこと、45歳を前に治療を諦めたことだった。

続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/a83c96bb971a58fa9da8449937000544eb103041


(出典 i.imgur.com)

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ふーん・・・
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1 muffin ★ :2026/08/14(金) 15:10:36.72 ID:HXZRe09U9
元フジテレビアナウンサー・渡邊渚が8月13日(木)、涼しげで愛らしい浴衣姿の自撮りショットを公開した。

(中略)

渡渡はこの日、「夏だね 夏は浴衣だよね!」とInstagramを更新。涼しげなデザインの浴衣を着た自撮りショットを公開した。

投稿にはたくさんの「いいね」が寄せられている。

全文はソースをご覧ください
https://news.yahoo.co.jp/articles/0fb15d11832f93b71e48393e546e3b36013cdb37


(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)

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そうなんや・・・
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1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2026/08/05(水) 09:05:21.86 ID:2W6J3KXE9
 元フジテレビアナウンサーで、現在はフリーで活躍する渡邊渚さん(29)が5日までに自身のインスタグラムを更新。

 「夏の思い出 お家で新しいスワッグを作った」と手作りのスワッグの写真をアップ。「七夕には、星空をイメージした錦玉羹を作った。上の層はバタフライピーで青くして、下の層は檸檬の皮を短冊に見立てて入れた。写真では見えづらいけど、二層の接合部分は檸檬の酸で紫色に変化」とつづった。

 「紫陽花から色の着想を得たキャンドル作り。最近はキャンドル作りにハマってます」と近況を明かした。

 「以前エッセイでも書きましたが、外出先で倒れてしまったり、搬送されたり、夏のはじめは、心身とも疲弊してましたが、最近は落ち着いてきてます」と報告。「ただまだ体調の波があるので、自宅でできることを楽しんでます!」とし、「ご心配いただき、ありがとうございます!」と記した。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/08/05/articles/20260805s00041000089000c.html

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/08/05/jpeg/20260805s10041000076000p_view.webp

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1 冬月記者 ★ :2026/08/07(金) 23:34:07.10 ID:7aRalDmo9
 永遠の愛を誓い、豪華なシャンパンタワーで門出を祝ったあの日から約4年――。

 8月6日、32歳の元TBS女性アナウンサーが自身のInstagramを更新し、一般男性との離婚を発表した。しかし、その報告に添えたコメントをめぐり、ネット上では疑問の声が上がっている。

 離婚を発表したのは、現在はフリーアナウンサーとして活動する山本里菜(32)だ。

 山本は青山学院大学卒業後、2017年にTBSへ入社。2018年1月から2022年3月まで『サンデージャポン』で7代目アシスタントを務め、2022年3月に同番組内で結婚を生報告した。

 お相手は外資系金融会社に勤務する2歳年上の一般男性で、約3年半の交際を経てゴールイン。その後、山本は2023年10月にTBSを退社し、現在はセント・フォースに所属している。

山本はInstagramで、

《私事ではございますが、夫婦で話し合いを重ねた結果それぞれの道を歩むこととなりました。ともに歩んできた道は宝物です。前向きな決断ですのでこの先も今までと変わらず、お互いに大切な存在ですし応援しあっていきたいと思っております》

と報告した。

しかし、この報告を伝えたネットニュースのコメント欄やXでは、

《『宝物』とはよく言ったものだ。だったら手放さないだろう。大概は顔見たくないから別れるわけで・・・。『やめること』を卒業と言ったり、『歳を取ること』を歳を重ねると言ったり、あれやこれや美辞麗句で言葉を尽くすね》

《離婚のコメントで「結婚生活は宝物」って感覚が分からない。宝物のような素晴らしい結婚生活なら別れるはずが無いでしょうに》

《問題があったから離婚するわけで、ただ、離婚しますだけでいいんじゃないかなぁ》

《「前向きな決断」での離婚はわかる。でもお互いが「大切な存在」だというなら離婚はないだろう》

など、コメントの表現に首をかしげる声が相次いでいる。

「今回の離婚であらためて注目されているのが、お相手の“赤ベンツ王子”です。2019年5月、『SmartFLASH』が2人のデートを報じた際、男性が真っ赤なオープンカーのメルセデス・ベンツを運転していたことから、『サンデージャポン』で“赤ベンツ王子”と命名されました。その後も同年8月には、『FLASH』が人目もはばからず寄り添う姿をキャッチするなど、順調な交際ぶりがたびたび話題となりました。

やがてゴールインを果たした2人でしたが、2023年1月には山本さんがInstagramで披露宴の様子を公開。シャンパンタワーを設けるなど、こだわり抜いた豪華な挙式・披露宴は、“永遠の愛”を誓う華やかな門出として大きな話題を呼びました」(芸能ライター)

 しかし、多くの祝福を受けてスタートした結婚生活は、約4年で終止符を打つことに。

 華やかな披露宴が大きな話題を呼んでいただけに、突然の報告は驚きをもって受け止められているようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5fe543c61e803a1739663eb8713eea52f613ea21


(出典 i.imgur.com)


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そうなんや・・・
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1 冬月記者 ★ :2026/08/02(日) 21:27:24.09ID:x8HLfMZg9
 元テレビ東京アナウンサーで現在はフリーの大橋未歩が、8月1日(土)、ブックファースト新宿店で自著エッセイ『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』(大和書房)の出版記念記者発表会を開催。ニューヨークでの生活や日本への思いを語った。

 仕事も暮らしもいったん手放し、45歳でニューヨークへの移住を決めた大橋未歩。

 人生のままならなさを抱えながら生きる切実さを軽やかにすくい上げ、Web連載「だいわlog」で大きな反響を呼んだエッセイを書籍化した『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』(大橋未歩著、7月23日発売)の出版を記念し、サイン会に先立って記者発表会が行われた。

 緑のワンピースドレス姿で登場した大橋は、まずタイトル『ニューヨークの林檎をむいて食べたい』について、「ニューヨークといえば“ビッグアップル”なので、りんごが浮かびました。『食べたい』にしたのは、ニューヨークで経験したことを自分の血肉にしていきたいという意味で、それってほぼ“食べる”ことと同義だと思ったからです」と説明。

 さらに、「以前、『なぜ“かじる”ではダメだったんですか? むく必要があったんですか?』と聞かれたことがあるんですが、“むく”という行為には、ある程度きちんと向き合う時間が必要です。ニューヨークともじっくり向き合いたいという思いを込めました。それと、かじるのは歯茎が弱っているので無理だなと思いました」と笑顔を見せた。

 ニューヨークを選んだ理由については、「アメリカ随一の移民都市で、移民にとても寛容です。私みたいな人が突然行っても受け入れてくれる懐の深さがあるんじゃないかと思いました。あとは車の運転ができないので、車なしでも暮らせる街ということで決めました」と説明。

 現地での生活については、「最近は夫が共同経営者としてオープンしたお店で週5日接客をしています。日本の商品がとても売れるので、私は物流担当として日本の商品をアメリカへ送ったり、数字を見るのも好きなので、どんな商品がどれくらい売れているかを分析したりしています」と明かした。

 英語については、「学んできた英語とネイティブの英語は全く違うんだと本当に驚きました。でも今は英語で仕事をして、ドルを稼げるくらいにはなれたかなと思います。頑張っています」と語り、英語力の向上ものぞかせた。

 日本との違いについて聞かれると、「本当に年齢は記号なんだなと思いました。日本ほど敬語文化が顕著ではないので、同じ職場の同僚は私の半分くらいの年齢ですが、お互い年齢を聞くこともありません。何も気を遣わず接してもらえるのはありがたいですね」と話した。

 執筆で苦労した点については、「初めて自分の体のことを明かした『The Moth』(アメリカのストーリーテリングイベント)の回を書いたあと、その反響があまりにも大きくて、たくさんの長いメッセージをいただきました。『次も楽しみにしています』と言われて、『どうしよう』と思ったことが一番苦労しました」と振り返った。

 一方で楽しかったことについては、「自分は本当に日本語や漢字が好きなんだと実感したことです。熟語や漢字から立ち上るニュアンスやイメージってすごくあるんだなと改めて思いました。例えば『怪訝』という言葉も、『怪しい』と『訝る』が合わさっていて、まさにその意味なんだと感じました。日本語や漢字が好きだということを再確認する過程がとても面白かったです」と語った。

 また、アメリカで暮らす立場から見た現在の日本については、「日本人は謙遜を美徳とする文化があるので、自分たちを低く見がちだと思います。でも、日本を卑下しているのは日本人だけで、海外では本当に尊敬されていると実感しています」とコメント。

 続けて、「SNSや円安による訪日観光客の増加で、日本の良さが世界中に知られるようになりました。『日本人です』と言うことが本当に誇らしいです。謙遜は素晴らしい文化ですが、それでももっと胸を張っていいと思います。私はまだ住んで2年半ですが、30年近くアメリカに住んでいる方も、この5~10年で日本に対する評価が大きく高まったと話しています。資本主義に疲れた人たちが、日本の文化や秩序、衛生観念など、目に見えない価値を尊敬しているのだと改めて感じています」と、日本への思いを熱弁した。

続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4737f784342e8cb0063a989e27e2047c6042971


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お、おう・・・
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1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2026/08/06(木) 23:34:05.24 ID:xgOWzMNV9
2024年8月末にフジテレビを退社した元アナウンサーの渡邊渚さん(29)。2020年の入社後、多くの人気番組を担当したが、2023年7月に体調不良を理由に休業を発表。退社後に、SNSでPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったことを公表した。約1年の闘病期間を経て、再び前に踏み出し、NEWSポストセブンのエッセイ連載『ひたむきに咲く』も好評だ。そんな渡邊さんが、「PTSDに罹患したばかりの頃のような生活に逆戻りした理由」について綴ります。

 * * *

 PTSDになってから3年が経った。診断されてすぐの頃は、手足の震えから力が入らず、まともに歩くことすらままならなかった。怖くて眠れない、食材を見ることすらできず、食事はまともに摂れなかったし、ほんの少しの音や気配にも敏感になって、外出はおろか、自宅でも見えない恐怖に怯える日々だった。

 それから、薬物療法や認知行動療法など、あらゆる治療をおこなって、再び表舞台に立てる状態になれた。それだけでも奇跡と言っていいくらい、望外の成果だった。

 今年に入ってからは、調子が悪い日より良い日のほうが多くなった。安定的に働くことができるようになり、心の平穏が保たれ、何より社会の一員として生きているという実感があった。

 PTSDになったばかりの頃、いろんな人に言われた、「時が経てば、少しずつ良くなっていくから」という言葉を信じられるようになっていた。やっとこれから、当たり前の人間生活をおくれるような気がしていた。しかし、その淡い希望は、たった一回のフラッシュバックで大きく崩れ去った。

頭の中にトラウマが一気に駆け巡り…
 ある番組収録中に、出演者の1人が過去にセクハラをした相手に謝罪するという流れがあった。「ごめんなさい」と言って一旦終わったのだが、その後、他の演者が「それでいいのか? キスしろよ」と煽った。

 きっと、昔の、テレビ局で働いていた頃の自分なら、何も思うことなくスルーできたと思う。しかしPTSDになってしまった今の私からすると、周りからの「キスしろ」というヤジが、嫌と言えない状況や空気を醸成しているように思えて、とてもグロテスクに感じた。

 この一連の流れが、私にはトラウマを想起する因子になってしまった。フラッシュバックを起こし、パニックになった。その場でえずいてしまい、涙が止まらなくなった。頭の中にトラウマが一気に駆け巡り、身体ごと当時にタイムスリップしたかのようになった。身体が震え出し、息ができなかった。

 収録中だったため、少し席を外してから再び戻ったが、その日は一日中震えと吐き気が止まらず、恐怖が心身を支配した。

 ただここで明確に示しておきたいのは、フラッシュバックを起こしたのはあの場にいた誰のせいでもないし、この文章はその演出の何が悪いのかを論じたいわけではない、ということだ。番組を盛り上げるための演出で、そこで私のトラウマを気遣ってもらう必要などないから。

 そもそも大元を辿れば、悪いのはこんなトラウマを植え付けさせた人間だ。1人の人間の人生に、制限をつくって、当たり前の生活を奪った人が全て悪い。

眠れないのにベッドから起き上がることもできない

 フラッシュバックを起こした後の生活は、もう散々だった。恐怖で眠れない。でも、ベッドから起き上がることもできない。外に出るのも一苦労で、仕事も休んだ。PTSDに罹患したばかりの頃のような生活に逆戻りしてしまった。

 今もあまり体調は良いとは言えず、前回のエッセイで電車で倒れた話を書いたが、それもこれが影響している。心身の限界がきているようだ。

 こんなことを、私はこの3年間ずっと繰り返している。よくなったと思ったら、何かの拍子にトラウマを閉じ込めていた蓋がパカっと開いて、恐怖と不安が心身に流れ込む。トラウマが頭の中を反芻して、私は一生健康にも幸せにもなれないと絶望的な気持ちになる。社会生活もまともにできない自分が情けなくて、惨めで、こんな人生いらないと幾度となく思った。

 結局、どれだけ治療をしても、どれだけ時間が経っても、トラウマが私の中から消えてくれることはないし、PTSDは一生“完治”しない。積み重ねてきたことが、何度も崩れる。

 崩れるたびに心がすり減って、私は未来に希望を抱くことすら困難に感じている。

 この先どんな仕事をして、どこで生きていようとも、この無力感や自己喪失感はなくならないのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。この3年間で、私は、未来を思い描くことができない人間になってしまった。

https://www.news-postseven.com/archives/20260806_2124995.html?DETAIL

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